「怪獣らしさ」を失うこと

怪獣らしさ。それは言葉で表すことも具体的に表すこともきっとできないと思う。人間には表現することは難しいもの。それにデザインだけでは怪獣らしさというものはでない。怪獣というものは基本的には特撮の中で大暴れする。それ故、着ぐるみが必要。着ぐるみがその怪獣を決定づける。デザインと着ぐるみが一体化したときに初めて名怪獣は生まれるのだ。そして映像化されることで完全にその怪獣を表現することができる。
しかし昭和にも人気の低い・評価されない怪獣もいる。昭和の評価されない怪獣達は怪獣らしさこそ持てど、それ以外のものが欠けていたからだ。魅力はない。されどれっきとした怪獣として存在することはできる。今の怪獣達にそれがあるのだろうか?断言できる。ない。それはファンにとっても怪獣達自身にとっても非常に本当に悲しいことだ。
最近のへぼい怪獣デザインは怪獣のデザインの本質というのものがわかっていない。特にリバイバル怪獣のリデザインはことごとく酷い。その怪獣の特徴とも言えるデザインを完全に殺しているのではデザイナーとして失格である。
特に具体的に酷い例がファイナルウォーズのガイガンである。ガイガンの生物的な部分とメカニカルな部分の調和を完全に台無しにし、メカニカルな部分しか残っていない。しかも無意味にデビルマンのようなグロテスクで生理的に不快感なデザインだ。もはや怪獣デザインとしてはサメクジラなどの最低ランクよりも酷い外道デザインと呼べる。その点でいえば、評価の低いA後半の超獣などは怪獣らしさというものは全く損なわれておらず、強烈な個性や形態的に優れたデザインでないだけでよい怪獣とはっきりと断言できる。最近のデザイナーは一体何を考えているのだろうか。こんなことだから怪獣とモンスターを混同するような誤った見方も出始めてしまうのだ。ウルトラ怪獣のデザイナーとして名高い、成田氏や池田氏などの名デザイナーの怪獣デザインに対する思いは、現在のデザイナーにはきっと届いていない。
人のことを言う前にお前はどうなんだと仰る人もいることだろう。わかったようなことをほざくなとも思われるだろう。しかし私とてなんの考えや実践もなしにそんなことは言っていない。幼少のころから怪獣はかなり見ていたわたしでもいざデザインするとその難しさを痛感する。全く納得のいったものをデザインできたこともない。しかし、少なくとも怪獣のデザインといったものは少しは理解できているはずだ。少なからず今の下劣な怪獣デザイナーよりは。自信過剰とも呼べるだろうが、だからと言って今のデザイナーのデザインが優れていると呼べるだろうか?それを優れていると呼べるならばあなたはもう一度最初から怪獣について見つめ直したほうがいいと思われる。
怪獣らしさとモンスターらしさ・化け物らしさとは全く違う。
新しいものを生み出すことは困難である。だから新しい方向へ視点を変えていき、別の方向性を模索する。しかし、そこで過去の怪獣の「怪獣らしさ」というデザインを置いてきぼりにしたならば、どんなに形態的に素晴らしくとも、いかに斬新なデザインであろうとも、それはただのモンスターであって怪獣などでは決してない。それは平成ウルトラ怪獣・2000以降のゴジラ怪獣全てに言えることだ。2000ゴジラは格好良くても彼はゴジラではない。ゴルザはどんなに正当派恐竜型怪獣体型をしていても正当派恐竜型怪獣ではない。
わたしの考えることが理解できないというならそれもまた仕方ないだろうと思う。しかし、完全に間違ったことを指摘してなどいないはずだ。怪獣への愛があるのなら、胸に手を当てて考えて見て欲しい。嫌いなものに考えを模索してもつまらないだけだ。好きなればこそ良いところの裏に隠されている悪いところを見つけて指摘するべきだ。今の怪獣らしさを失った悲しき怪獣達のためにも。

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